「カムイと生きる」を見て

                          今泉吉晴

 この映画は市井の人、「アイヌの治造」の魅力に肉薄します。治造さんは、なぜ人々の注目を集め、互いに思いやる家族、そしてよき支援者と親子や兄弟のような親友に囲まれているのでしょうか。

 ナレーションが「治造さんにお金はない」と断言します。なるほど、治造さんは手作りで家を建てています。それはカムイミンタラという人々の交流のための施設で、治造さんが計画しました。計画を立てるのも、一から実行にうつすのも治造さん。なんでもないことのように見えて、分業と補助金行政で何事も他人まかせの今日、希有でとても人間的な仕事の進め方です。しかも治造さんは、映画によれば、これまでに少なくとも2回、同じ目的で別々の場所に家を建てている、とわかってきます。

 治造さんは、いつもいうことが違う、といわれながら、20年以上にもわたり夢の実現に向かって努力を重ねてきました。そして、じつはそこに北海道の自然と共に生きた治造さんの粘り強さと魅力のもとがある、と映画はまずは伝えています。

 と同時に、前の2回の施設づくりは失敗どころか、大きな成果をあげた、と想像できます。今、いっしょに働いている仲間の多くは、その頃に知り合った人たちで、共に成長してきた親友同士なのです。そして、3回目の今の施設づくりに結集し、たがいに成長しあう新しい仲間を再び集めています。

 すなわち、治造さんは世界の人々をもてなし、地域の子どもに大切な経験を伝えたい、という夢に導かれて、自分自身を育ててきました。そのことを治造さんは「心に畑をもて」といっています。それは学校にいかずに田畑の世話をし、森で働いた子どもから若者時代の経験に裏打ちされた治造さんの自分づくりの合い言葉です。

 私はカムイミンタラが、安心・安全な家と庭の延長物であり、そこを交流の場に提供するという、治造さんの計画に込められた人間の本性によくかなう平和な着想にひかれました。なつかしい故郷の中心である、手作りの家の庭こそ、最高の交流の場になる、という治造さんの考えは、他のあらゆる交流施設や拠点づくりを思想的に超えている、と思えます。

 人物の魅力とは、容易には解けない大きな謎です。小松監督は、その謎に果敢に取り組み、成果をドキュメンタリー映画として表現しました。アイヌの踊り、音楽にナレーション、多くの人の証言、人々のなにげない言葉の数々、治造さんの語り、古いコタンなどの写真、そして自然の描写が、見るものに時空を超えて語りかけます。単純明快にわかりやすく、という小松監督の配慮が随所に見受けられます。と同時に、見れば見るほどわかることがある、とも伝えて、奥の深さも十二分に予感させる映画です。

 当然、見る側も「大きな木のような」といわれる人物の魅力を一度の鑑賞で受けとめきれるものではないでしょう。私はこの映画の原案である二つの本を読んでいましたが、治造さんとは会っていません。映画はまずは治造さんの風貌と語り口を伝え、いっそう身近にしてくれました。そして日をおいて、二回、三回、四回と重ねてみて、以上のように私なりの了解に到達した次第です。触れなかったことがら、もっと深めてみたいことなど多々あり、少なくとも同じくらいの回数は楽しみにとってあります。これぞドキュメンタリー映画ならではの力でしょう。

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